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見えない部分

仕事は経理だ。といっても、従業員10人足らずの小さな会社の経理だから「仕入・売上・支払」の出入りを管理する極めて単純な作業である。そして単純だからこそ間違いがあっては困るし、その点においては、かなり信頼されていると自負している。昔から数学は好きだったけど、数字というのは数字で割り切ってしまえる分、正直だ。
でも人の心は違う。いつ頃だったか「愛している」というのに「どれくらい?」というのが流行った…のか、言われたのか。
相手をどれくらい理解しているかなんて、自己満足でしかない。何もわかっていないほうが本当のような気がする。だからこそ、誰かを好きになったりすると、見えない心が不安で言葉に出して確かめる。男女に限ったことではなく、親子だってそうなんじゃないかな。子供は親の気持ちなんてわからないのが当然だし、親は自分の生んだ子のことなのだから良くわかっているというのも傲慢だ。むしろ子供は未熟なだけ親より謙虚だ。「操り人形」とまでは言わなくても、親の言うことを聞かせたいと少なからず思っている気がする。子供も一人の人間で、血がつながってはいても、やっぱり感じ方、もっと言えば生き方だって違う。
「あなたの心がわからない」から始まった。想像はできても、誰の心も見えない。そして想像はあくまで想像だ。あやふやなモノだからこそ惹かれあう。それは面白くもあり、哀しくもある。
by meow-ee-ow | 2005-03-23 08:43 | 考え方の違い | Comments(0)