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イイコトも ワルイコトも

大学の後輩にばったり会った。

一つ下の彼女とは、学科が違っていたけれど、就職するとき、当時働いていた銀行のOB訪問とやらで知り合った。明るくて、目のきれいな、しっかりしているけれど女の子らしい人で、2年間、同じビル内で働いた。

そんな彼女と偶然再会したのは5年ほど前。昼休みの外食先で、ご主人と一緒だった。
「遅ればせながら、結婚したんです。」とはにかんだような笑顔で紹介してくれた。

そして今日、両替に出かけた銀行前で、当時と同じ太陽のような笑顔に呼びかけられた。

「お子さん、いくつになったんですか?」
「14歳。中学二年生で、寮に入れているの。」

「・・・普通ならそれくらいのお子さんですよね。」彼女はポツリと言う。
「○高は40歳になったのだから、まだまだ」と言う私に、
「子宮が奇形でできないんです。」と彼女。

子供ができないとわかったとき、養子縁組のことも考えたそうだが、日本ではアメリカほど制度が発達していなくて、厳しい条件もいろいろあるという。ご主人は、そこまでして欲しくはない。2人で生きようと言ってくれたらしい。そして、3度流産したこと、おじい様の他界、ご両親の病気などが続き、ここ3年はうつ病の薬を飲んでいること、今日は薬を貰った帰りだということを話してくれた。外見からは全くわからないけれど、彼女は「一生、この薬を飲み続けなければならないかも・・・。」と悲しそうに言った。

「私もね、主人亡くしてね・・・。でも娘がいてくれる。そしてあなたには一緒に生きようと言ってくれるご主人がいる。生きているとイロイロあるね。それも重なったりして。苦しいね。でも辛いばかりじゃない気がする。」

こんなとき、上手な言葉なんて見当たらなくて、本当に情けなかった。でも「家がすぐ近くなので、会社帰りに遊びに来てください。迎えに来ますから!」と最後にそういって彼女は帰っていった。素敵な笑顔を残して。

生きているとイロイロある。
どうして自分はここまで来れたのかと考えると、やっぱり支えてくれる人、見守ってくれる人がいたからだと思う。自分など大した存在ではないと思っていたのに、厚かましくも自分は、皆にこんなに愛されていたんだということを知った。私は強くなんてなくて、そういう人たちの愛に甘えて、抱かれて、生きている。

バランスなんて取れなかった。今だって気持ちは上下する。心の柔らかな部分はシクシク痛むし、突然襲ってくる頭を打ち抜かれたようなあの日の衝撃にたちくらむこともある。

でもここまでこれた。笑うことができる。
周りの人には「ありがとう」って、いっぱい言いたい。そんなの全然足りないけれど・・・。
そして私も自分でちゃんと頑張れるようになったら、上手く歩けない人の杖になりたい。
そういう気持ち、持ち続けたい。
Commented at 2007-07-21 17:12
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by meow-ee-ow at 2007-07-24 08:54
鍵コメさま
もしお互いに長生きとわかっていたら、人の関係ってどうなんでしょうか。

>今は二度とない。次があると思ったらそれは嘘だ。何の保証もない。
>だから今つながっていたい。今しかない。

母がよく、出かける時に喧嘩して送り出してはダメだと言いました。
本当にそうだと思うのです。喧嘩して送り出し、もし帰ってこなかったら、
どんなに後で悔むでしょう。当り前のようにまた会えると思っているから、
嫌な別れ方をしてしまったりします。
最近は「また会えますように」との願いを込めて「また明日」「また後で」と
言っています。

コメントの返信になっていなくて、ごめんなさい。
前を向いて生きていたいです。
by meow-ee-ow | 2007-07-21 01:48 | 生き方 | Comments(2)